シリコンバレーの礎を築いたDraper一族の歴史と哲学(前編)

僕の趣味の一つは読書ですが、今年読んで最も面白かった本の一つが「The Startup Game: Inside the Partnership Between Venture Capitalists and Entrepreneurs」(著:Bill Draper)です。洋書のため、周りに読んでいる人が少ないのと、米国のベンチャーキャピタルの変遷を知るのにとても勉強になる本のため、今回は日本語で僕がまとめたメモを公開します。

著者は、シリコンバレーにて長年ベンチャーキャピタリストとして活躍してきたBill Draper(本名 William Henry Draper Ⅲ、写真中央)。父親のGeneral William Draperが、1959年に世界で初めてリミテッド・パートナーシップによるVCファンド”Draper Gaither & Anderson”を設立し、Bill Draperは父のVCでアソシエイトとして勤務。のちにBillはDraper & JohnsonやSutter Hill Ventures等のVCを自身で設立。息子のTim DraperもDraper Fisher Jurvetson(DFJ)等のVCに携わり、そしてその息子でBillの孫にあたるAdam Draperも、現在若くして米国で自身のVCをやっているという、4代にわたるVC一族です。

VCとして独立して初めて投資したIllumitronics社の説明を聞く、著者Bill Draper(中央)とPitch Johnson(右) 出典:siliconbeat

VCとして独立して初めて投資したIllumitronics社の説明を聞く、著者Bill Draper(中央)とPitch Johnson(右)
出典:siliconbeat

僕自身、このDraper一族の実績はもちろんですが、ベンチャーキャピタルの領域で新しいチャレンジをし続けてきた姿に非常に尊敬しています。あまりにも内容が濃いため前編(歴史)と後編(投資哲学)に分けて、今回は前編の歴史編で、本の中でもポイントだけピックアップしてまとめています。

<前編:Draper一族の歴史>

P12『父、General Wiliam Draperが世界初のリミテッド・パートナーシップによるベンキャーキャピタルを創設』

General William H. Draper Jr 出典:Wikipedia

General William H. Draper Jr
出典:Wikipedia

・Bill Draperの父(General William H. Draper Jr.、以下Wiliam)は、ウォールストリートの投資銀行、”Dillon, Read & Co.”で働くインベストメントバンカーであった。
・1929年、父親のWilliamは、多額のボーナスを手に入れて、それを新しい家の購入資金とするか、新しいビジネスへの投資資金とするかを悩んだ結果、ずっと興味を抱いていた”ドイツ製の自動コーヒーメーカー”を作っているベンチャー企業への投資をすることに決める。
・投資して2か月後にウォール街大暴落が起き、コーヒーメーカーは破綻し投資した資金を失った。この経験から、”Don’t invest any money that you can’t afford to lose.”という投資家としての薫陶を得る。
・資産を失ったWilliamは、再びハードワークに仕事に取り組み、Dillon, Read & Co.のVPにまで昇進。
・第二次世界大戦で米国陸軍での勤務を経て、1959年に世界で初めてリミテッド・パートナーシップによるベンチャーキャピタル”Draper Gaither & Anderson”(以下 “DGA”)を設立した。1号ファンドは$6M。このDGAに、息子のBill Draperがアソシエイトとして勤務することになる。(世界初のベンチャーキャピタルはARDC)
・DGAのLPはロックフェラー、ラザード・フレール、他少数の個人であり、2.5%の管理報酬と40%のキャリーというスキームであった。
・非常に高いパフォーマンスを出したものの、パートナーの一人であるRowen Gaitherが癌で早期に急死してしまい、初期の$6Mのファンドの7年の運用期限を迎えた後に、DGAは幕を閉じた。

P24『DGAにおける初めてのベンチャー投資』

・父親のDGAにおいて、Bill Draperが初めて自身でソーシングをして投資に携わった会社は、心臓細動除去装置を製造している”Corbin Farnswoth”
・当時、後にキャピタリストとして活躍するReid Dennisより紹介されたのが、Corbin Farnswothとの初めての出会い。Palo AltoにあるCorbin Farnsworthのオフィスに行き、初めてのMTGを行った。
・Billは当時から、「初回のMTGはスタートアップのオフィスで行うこと」を心掛けていた。理由は、どのようにデイリーワークをしているかと、Founder同士や社員と、どのようにコミュニケーションを取っているかを一度に見ることができ、それが投資の意思決定に非常に重要だと考えているからである。
・事業のアイディアが気に入ったBillは2,3日後に、パートナーのGeneral Andersonに打診し、Corbin Farnsworthの創業者であるThomas Corbin、Elliot FarnsworthとのMTGをセッティングし、General Andersonがすぐに投資の意思決定をした。これが、Billの初めてのベンチャー投資となった。
・Corbin Farnsworth社は急成長を果たし、米国の製薬会社Smith, Kline & Frenchに買収され、何倍ものリターンを手にいれた。

P28『自身のVCファンド、Draper & Johnsonを設立』

Pitch Johnson(左)とBill Draper(右) 出典:VCTaskForce

Pitch Johnson(左)とBill Draper(右)
出典:VCTaskForce

・1962年、DGAにて3年間投資実務に携わったのちに、Billは友人のPitch Johnsonと自らのVCファンド”Draper & Johnson”を設立。
・設立当初、$40,000の家以外に、何の資産もなかったため、数Milionのファンドを作るなど、夢のまた夢のようだった。しかしながら、1958年にSBICプログラム(米国中小企業庁が、VC業界を資金面からサポートすることを目的として、VCをSBICとして認可して資金供給するプログラム)が米国で開始されていたことを知ったBillは、この制度を活用して、友人で共同創業者のPitch Johnsonと合わせて$150,000程度の自己資金を基にファンドを設立した。
・VCにおけるパートナー選びにおいては、「自分とは違うスキルや能力、経験を持つ人を選ぶことが重要」だとBillは学んだ。共同パートナーのPitch Johnsonはスタンフォードでエンジニアリングの学位を持つのに対して、Billの専攻はHistory、等。この哲学は、後にBillが設立する幾つかのVCでも、全く同じ基準でパートナーを選んでいった。
・Draper & Johnsonの一社目の投資は、計量デバイスを製造しているIllumitronics社。$60,000を出資して25%を取得した。$60,000という投資金額は、非常に小さいが、SBICのルール上は一社当たりの最大の投資金額であった。他にDraper & Johnsonから出資した会社は計12社程度。
・パートナーのPitch Johnsonは、投資家よりもプレイヤー側に回りたい、という意思を固め、Draper & Johnsonは1号ファンドで幕を閉じた。投資金額も非常に小さく、同様にリターンも小さなものであった。

P35『Sutter Hill Venturesを設立』

・Draper & Johnsonの投資を終え、Pitch Johnsonと別々の道を歩むことになったBillは、1965年にPaul Wytesと共にSutter Hill Venturesを設立。
・”Sutter Hill”という名前は、Palo Altoにあったショッピングセンターの建設を行う会社の名前であった。そのSutter Hill社は、Frank LodatoとGreg Petersonというスタンフォード出身の2人によって運営されていたが、成功を収めていた。このSutter Hill社は、”Regulation A”と呼ばれる、100名以下の出資者から出資を募るスキームにより資金調達をしていたが、FrankとGregは、このスキームで他のことにも応用して新たな事業をやろうと考えていた。そのうちの一つがベンチャーキャピタルである。
・Sutter Hill社のFrankとGregと意気投合したBillは、Gregのスタンフォード時代の友人であるPaul Wytesと共に、この会社の名前をとって、1965年に”Sutter Hill Ventures”を設立した。
・当時は、Arthur RockとTommy Davisが設立した”Davis & Rock”というファンド以外に、競合がほとんどなく、Sutter Hill Venturesは非常に大きな成功を収めた。
・ファンドサイズは$10M。1965年以来平均35%のIRRを維持し、今も尚シリコンバレーのトップティアとして、成功を収め続けている。
・Sutter Hill Venturesは、2.5%の管理報酬と20%のキャリーを取る。“Evergreen Partnership”という、運用期限を決めず、4年に一度ポートフォリオを評価しLPが資金を出金でき、リターンは全て再投資に回るスキームにより運営されているのが特徴。(このEvergreen Partnershipのストラクチャーだけでも一記事書けるくらい濃いので、今度改めて書きます)

P39『息子Tim Draperがベンチャーキャピタルの世界へ』

Tim Draper 出典:Wikipedia

Tim Draper
出典:Wikipedia

・Billは、シリコンバレーでのVCとしての功績が認められ、1981年に、同年大統領に就任したロナルド・レーガンにより合衆国輸出入銀行のChairman and Presidentに任命され、一度VCを離れる決意をする。同時に、Bill自身のファミリーマネーを運用していたマイクロVCファンド”Draper Associates”を息子のTim Draperに託すことに決めた。Timは当時まだ若く、ベンチャーキャピタルの経験はゼロであった。
・輸出入銀行のためワシントンDCに移り住んだBillは、多忙を極めていた。久しぶりの休暇で息子のTimに会った際には、既にTimは6社のベンチャー企業に投資していた。その投資先の状況を聞くと、最初に投資した5社は全くうまくいっていないと伝えられる。しかし最後の1社は”ホームラン”であった。その会社は、Parametric Technology(本記事編集時点2016/3/13でのMarket Capは$3.6B)。

P49『1960-1970年代の、ベンチャーキャピタルの勃興』

・現在の”トップティア”なVCの多くは、1960-1970年代に生まれた。YahooやGoogleへの投資で莫大な成功を収めたKPCBやSequoia Capitalの他、Mayfield、Greylock、NEA、Charles River、Menlo Ventures等は皆、この年代で誕生し、長年積み重ねた多くの投資実績とレピュテーションを持つ。
・”「ベンチャーキャピタルにおいて、”レピュテーション”は非常に重要である。」多くの職業で同じことが言えるが、ベンチャーキャピタルは特に重要となる。レピュテーションは、作るのに長い期間が必要であり、そして崩れるのは一瞬だ。”

P133『米国VCとして初のインド向けファンドを組成』

Robin Richards 出典:Draper Richards

Robin Richards
出典:Draper Richards

・約12年、VCを離れていたが、1993年に当時勤めていたUNDP(国連開発計画)の代表を辞職し、カリフォルニアへ戻った。特にUNDPでの仕事で、世界101の国(多くは発展途上国)に足を運び、ベンチャーキャピタルは、こうした発展途上国に必要とされていると確信し、こうした発展途上国への投資に特化したベンチャーキャピタルを作ろうと決心した。特に中国とインドには、特に他の国よりも早い成長スピードで発展していく兆しが見えていた。
・ここで、後に共同創業者となるRobin Richardsに出会う。Robinは、まだスタンフォードのMBAの在学中の28歳の女性であったが、若さを強みにしたスタートアップコミュニティへのネットワーク力、そしてBillと異なるバックグラウンドに注目。Robinがスタンフォードを卒業した1994年に、インドに特化したベンチャーキャピタル”Draper International”を設立。米国のVCとして史上初のインド向けのVCファンドとなった。
・1996年に、Yahooのようなポータルサイトをインドで展開している”Rediff.com”に出資。インドにおける最大のポータルサイトの一つにまでなり、NASDAQに上場した。ところが、インドルピーで発行した株式を保有していたため、その株をNASDAQで売却するのに制限がかかってしまうミスを犯す。ムンバイ市場は当時、過去3年の業績が黒字であることが条件であったため、上場に時間がかかった。結局、6年間で16Xのリターンを出したものの、ドットコムバブルが弾けて適切なタイミングで売却出来ず、大きなリターンを得る機会を失った。こうした失敗もありつつ、インドでの投資を積み重ねていった。
・1997年には、大企業向けのCRMを提供しているSelectica社に出資。計4回のラウンド全ての参加し、Draper Internationalからは計$3Mの投資を行った。競合との熾烈な戦い等の紆余曲折を経つつも成長を積み重ね、2000年3月10日に上場。2000年に上場した446社のうち最大となる、$5Bを超える時価総額を持つIPOを果たし、Draper Internationalが投資していた$3Mは、$600Mのリターンをもたらした。

P7『Yahooへのシード投資における、Sequoiaとのバッティング』

・YahooのJerry Yangは創業当初、Bill Draperのパートナー、Robin Richardに接触。二人はDraper Richardのインドフォーカスの新ファンドの立ち上げに多忙を極めていたことから、息子で当時Draper Associatesを運用していたTim DraperをJerry Yangに紹介し、Buck’s Restaurantにて某水曜日の朝に朝食を共にした。
・その週の土曜日にTim Draperは自転車に乗って当時のYahooのオフィスにデモを見に行くことに。そこで、これこそホームランだ!と確信し、Jerry YangとDavid FiloからTim Draperのパートナー、John Fisherへピッチするように伝える。
・そのMTGで、John Fisherも感銘を受けたが、Jerry YangとDavid Filoは二人ともまだ若く、ビジネスの経験も不足していることから、経験あるCEOが必要だ、というJohn Fisherからの指摘にYangとFiloは合意し、TimとJohnに新しいCEO候補を紹介してもらうように伝えた。
・Tim Draperは、友人のJay O’Connorを紹介したが、JayがYahooにジョインする決断をせずにいた。
・結局1か月が経ち、YahooはDraperではなく、Sequoia Capitalから$1M(Post$4Mで25%)の増資を決断した。SequoiaのMichael Moritzが担当し、MoritzがTim Koogleを新CEOとして招き入れ、Sequoiaの”dot-com”領域における初めての投資となった。
・Tim DraperはMichael Moritzに対して、少しでもこのラウンドに混ぜてもらえるよう打診したが、Sequoiaはそれを拒否し、単独で全てを引き受けた。

P154『DFJ Networkの誕生』

・1991年、息子のTimはお金がなくなりかけた時に、アラスカ州政府からアラスカでVCファンドを運用する誘いのレターをもらう。実際、このレターはシリコンバレーにいた多くのキャピタリストがもらっていたが、返信したのはTimただ一人だった。こうして、$6MのVCファンドをアラスカで組成し、うち半分をアラスカへ、もう半分をアラスカ外への投資をすることに決めた。実際に、アラスカでの投資はうまくいかなかったものの、もう半分のシリコンバレーへの投資がリターンを生み出してファンドを終えた。
・こうした実績を買われ、その次はユタの住むハーバードビジネススクールの卒業生からユタでのVCファンドを運用するようオファーが届き、それもTimは実行した。
・こうした経験から、シリコンバレー以外の幾つかの地域でも、同様にベンチャーキャピタルがワークする可能性を感じ、TimはDFJの同僚とともに、DFJの同一ブランドを持ちつつ、地域に根ざしたVCファンドを展開する”DFJ Network”を作り、本格的に展開を開始した。
・DFJ Networkでは、2010年8月時点で世界に16のアクティブなファンドをネットワークし、相互のポートフォリオ企業の交流や支援、ディールの共有等を行っている。(現在はDraper Venture Network)

P161『起業家精神を持つ移民への投資』

・Robin Liは中国からの移民で中国の検索エンジン大手、Baiduの創業者である。Liは、元々Infoseekで検索エンジンの設計をしており、中国語に対応した検索エンジンを作ることを決心し、Baiduを創業した。2000年7月に、Baiduにエンジェル投資をしていたDFJの過去の投資先のCEOから紹介を受けて、TimとJohn Fisherと初めて会った。そこでBaiduの可能性を感じたTimとJohnは、DFJのePlanet Ventures(DFJ Networkの初めてのパートナーファンド)から$8Mを出資し、Baiduの25%を取得した。
・Baiduはその後、驚異的な成長を見せ、2005年8月にNASDAQに上場。ePlanet Venturesが投資した$8Mは、約$8B程度の価値にまで膨れ上がった。
・南アフリカ出身のイーロン・マスク率いるTesla MotorsやSpaceXにもDFJは同様に出資し、大きく成功を収めた。DFJでは起業家精神を持つ移民への投資により、数多くの成功事例を作り続けてきた。